街のあらまし
横浜市南西部の一大拠点として栄える戸塚。東海道線で横浜まで1駅、東京都心へのアクセスも良好な交通の要衝として知られる戸塚の街が成立したのは江戸時代初期。1604年に東海道の宿場町として戸塚宿が成立、以降400年来に渡って東海道筋の拠点の一つとして栄えてきました。
柏尾川沿いの谷にあり、線路と道路とが一点に集う戸塚の街。宿場町由来の市街地は戦後の都市化とともに商業地となり、特に西口は迷路のような高密な市街地が形成されていました。
自然発生的に発展した駅前を都市規模に見合った形に整備すべく、1962年には駅周辺一体の土地区画整理事業が決定されるも、複雑な土地の権利関係などもありすぐには事業開始とはならず、特に古くからの商店が多い西口ではかなり難航したようです。計画決定から25年後の1987年、市営地下鉄の開業(舞岡〜戸塚)に合わせて東口の再開発が完了。バスターミナル、丸井を核とした複合施設「ラピス」などが建設されます。一方で西口の「戸塚駅西口第1地区」における再開発事業が終了したのはそれから更に25年後の2013年のこと。東と西、25年の差が開いた2つの再開発。それぞれの街並みの違いも注目です。
東口周辺
宿場町由来の市街地を持つ西口とは対照的に、駅のすぐ近くまで柏尾川が迫りどこか空も広い東口。昭和62(1987)年の横浜市営地下鉄開業に合わせて西口よりひと足早く再開発事業が行われた東口は、駅舎に隣接する駅前広場はペデストリアンデッキに覆われ、それを囲むように3棟の再開発ビルが建ち並ぶ……という、同時期の再開発施行地区としては割とオーソドックスな駅前広場の構成をしています。西口再開発が完了するまでは、広いターミナルと大型商業施設がある東口と、小規模商店がぎっしり連なる西口のコントラストが激しかったことでしょう。
戸塚駅橋上駅舎。
駅舎から外に出るとペデストリアンデッキがお出迎え。デッキの中央には立川駅や町田駅を思わせる、しかしそれらと比べると何故かやたら無機質で金属質なオブジェが鎮座している
再開発ビル「ラピス1」を占めるのは商業施設「戸塚モディ」。
ラピス3。2と3は予備校やサービス系施設などがバラバラに入る雑居ビル的形態。色が剥げた塔屋だけはなんとかしてほしいが……
バスターミナル。同じような色調だけど配色が異なる神奈中バスと江ノ電バスがお目見え
同じく。写真左側がラピス1、右側が2。
戸塚といえば東海道、そして箱根駅伝の中継所。そんな2つの要素を限りなくわかりやすく収めたレリーフがデッキに。
デッキから東方向。ターミナルのすぐそばまで柏尾川が迫っていて、更に東側の市街地と隔たれている。駅を出たときに感じる空の広さはここの空間が生み出している
ちなみに戸塚駅そのものも川の上に乗っかっていたりする。このあたり、丘陵地に挟まれた川沿いで実はかなり平地に乏しく
ラピス3棟が全部見えるアングル。
駅前広場から柏尾川にかかる橋を渡ってみる。渡ってすぐは雑居ビルがそれなりの密度で並んでいるが
左側に見切れるは敷地面積が大きいアピタ戸塚店。駅前というよりは郊外立地っぽい建築
いずれにせよ、東口で絵に書いたような「駅前繁華街」感のある風景というのはあまり見られず、どちらかというとかなり落ち着いている。
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少し北に歩くと、旧東海道へ。
東海道の道筋は、JR東海道線の北東からやってきて、戸塚駅の北側すぐで線路を渡り南西に抜けるルートを取る。そこで線路と道路の交差する箇所こそが、かつて開かずの踏切としてその悪名を長い間轟かせてきた戸塚大踏切……だったのが、めでたく北側にバイパスする道路を新たに作る形でアンダーパスでの立体交差化が完了。周辺の町並みも再開発され綺麗に整ってきた。
写真は立体化する前に本道だった……ということで「旧」東海道。奥が横浜方面、左手前が小田原方面になる。
旧東海道・小田原方面。沿道のビルがことごとく築浅なのは再開発のおかげ。写真奥に見える辺りで線路とぶつかるが、アンダーパスが完成した今では歩行者しか渡れない陸橋に変身、東西をこの道筋で行き来するのは不可能になった。